人というのは、何にしても生きている理由について考えることが多い。
例えば
他人に対しても、
あの人がなぜあのように楽しそうなのか、その人の人生を知りたくなることがあるだろう。
正直言うと、
隣の芝生は青く見えるのだ。
実際のところ、
相手の人生がそんなに身がなくても素晴らしいこともあるし、人生がよほど難しくてもそれに対して学んでいなければ全く人生に厚みがないだろうし。
生きるのならば、できるだけ可能性を突き詰めて生きていたいものだ。
常に可能性というものはどの行動にもあって、
常に生きている人間たちに存在し続けているものだ。
この可能性、
最終手まで読めれば、それはそれで最高である。